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佐々木俊尚氏著「ネット未来地図」の論点の一つに、TVがあります。そのサブタイトルに「日本のテレビビジネスはまもなく崩壊する」です。以前からテレビ番組のつまらなさにあきれて、ほどんとテレビを観なくなっていましたが、佐々木氏の記事には興味が持てました。 ● 日本では、異常なほどにテレビ局がパワーを持っている。 そのパワーの源泉はただ一つしかない・放送免許である。しかしこの免許という官製のリソースただ一本に、すへー゛てを負っているテレビ局の現状は、いびつと言うしかない。 本来、テレビ局がもっとも強みとすべきは番組の制作能力のはずだ。しかし日本のテレビ局は、実際には番組は作っていない。実際に制作に携わっているのは外部の制作会社である。局からはプロデューサーがひとり送り込まれ、それ以外の全員は下請け制作会社の社員であるというような構図は、番組制作の現場ではごく一般的だ。実際、関西テレビのバラエティ番組「発掘 !あるある大事典U」で納豆ダイエットのねつ造問題が発覚した際、この下請け搾取の一端が暴かれた。番組スポンサーである花王からは電通に約一億円のCM費が支払われていたにもかかわらず、それが電通から関西テレビ、一次下請けの日本テレワークなどを経るうちにどんどん目減りしていき、実際にねつ造を行っていたディレクターが所属すも二次下請け制作会社には、わずか八百万円しか渡っていなかったと報道されたのだ。 このようなテレビ局による制作会社搾取が可能になっているのは、日本国内では番組を放送できるチャンネルの数が圧倒的に少ないからである。つまり放送免許が寡占されているからだ。チャンネル数が少なく、媒体そのものをテレビ局が押さえてしまっている現状では、番組をテレビ局に売るしか大きな収益を得る道はない。この結果、制作会社は下請け化していってしまうのは必然である。 そうしてテレビ局は寡占化し、さらに営業もほとんどを電通・博報堂に頼っており、自社で汗を流して努力しているものはほとんど何もない。そのようにしてコストを徹底的に絞っていることが、たとえばフジテレビ社員で、東証一部企業最高といわれる年収一千五百万円程度の高給を実現することを可能にしているのである。 ● しかし海外に目を転じれば―たとえばアメリカでは、この構図はまったく異なっている。アメリカでは競争を促進するという観点から、三大ネットワークがすべての番組を制作することが一九七○年代に禁じられた。以下の二つの規制が敷かれたのである。 @ プライムタイム・アクセス・ルール(PTAR) 米国の放送市場における上位五十市場について。三大ネットワークの直営局と加盟局は、プライムタイム四時間のうち一時間はネットワーク以外の番組を放送しなければならない。一九七一年に導入された。 A フィンシン・ルール 三大ネットワークが外部制作会社の作った番組について所有権を持つことを禁止したフィナンシャル・インタレスト・ルールと、三大ネットワークが゜自社ネットワーク経由以外でローカルテレビ局に番組放送権を販売することを禁じるシンジケーション・ルールからなる。三大ネットワークの独占的影響力排除のため、一九七二年に導入された。 いずれのルールも当初の目的を果たしたとして、一九九五年から九六年にかけて相次いで廃止されている。そして両ルールがテレビ業界に果たした役割は、きわめて大きかった。 まず@のPTARによって、かなり早い段階から映画会社がテレビ番組の制作に参入するようになった。アメリカ政府は本来はローカル局の自主制作の促進を目的としてこのルールを定めたのだが、実際に導入されてみると、番組制作の高い能力をすでに持っていたハリウッドの映画会社が新規参入組としてはもっとも適役だったのである。この結果、たとえば最近で言えば『24』 『プリズン・ブレイク』 『ロスト』 といった、映画に負けないクオリティを誇るようなテレビシリーズが次々と制作されるようになった。 さらにAのフィンシン・ルールによって、アメリカのテレビ局はこれらの番組の所有権を主張することを禁じられた。所有権は、あくまでも制作会社である映画会社に帰属することが許されたのである。 このあたりは、プロデューサーを一人派遣し、番組制作なはほとんどタッチしていないのにもかかわらずすべての番組に「著作・制作○○局」とクレジットを加えている日本のテレビ局とは、かなり様相が異なる。 ● これによって、番組制作会社である映画会社は。自分で作ったコンテンツを自由に販売する権利を得た。そしてこの権利をもとに、番組を販売する「シンジケーション」と呼ばれる市場が生まれた。映画会社はこのシンジケーション市場で番組をローカル局や独立局、ケーブルテレビなどに販売するようになったのである。そしてこのシンジケーションからの売り上げによって映画会社は製作費を回収できるようになり、三大ネットワークの支配から逃れることができた。 いまやアメリカのシンジケーション市場は年間百億ドル(約一兆二千億円)に達するとも言われている。巨大な動画コンテンツ市場となっているのだ。 このシンジケーション市場が、アメリカテレビ業界のタチャンネル化を後押しすることにもなった。三大ネットワークの系列に入らなくても、すぐれた番組コンテンツをシンジケーショヨン市場を通じて入手することがで゜きたからである。日本のケーブルテレビ局や衛星放送などが、制作能力の低さや低コストなどでコンテンツ調達に苦労しているのとは対照的といえる。日本にはシンジケーション市場が存在せず、キー局は自社系列以外の放送局にはいっさい番組コンテンツを販売していない。 ● アメリカの映画会社のバワーの源泉は、もちろん政府の免許とかそのようなものではない。つまりはコンテンツを源泉とするパワーである。 メディアを考えるときに、コンテンツとコンテナーという分け方がある。番組や記事がコンテンツであり、それを人々に伝える電波や印刷物、ウェブサイト、メールなどがコンテナーだ。…… アメリカのようにテレビが多チャンネル化していくと、秀逸なコンテンツを作るクリエイターこそが重要なのであり、どのチャンネル(コンテナー)で番組を送りだすのかは重要でなくなる。つまりメディアが「コンテナー本位制」から「コンテンツ本位制」へと移行しているのである。 ● さて日本では、圧倒的なコンテナー本位制が相変わらず続いている。 なぜコンテカー本位制が維持できているのか。理由は以下のニ点である。 @ テレビ局というコンテナーと番組制作というコンテンツが分離されず、コンテナービジネスとコンテンツビジメスが当初の段階から垂直統合されてしまった。 A テレビ局が全力を挙げて、多チャンネル化を阻止してきた。 ……だがいまや、テレビ局の独占モデルは、足もとから崩れ始めている。最も問題が顕在化しているのは、テレビCMの問題だ。ハードディスクレコーダー(HDR)の普及などからテレビCMは徐々に視聴者に見られなくなっており、従来のようにコンテナーに広告を接着するモデルでは対応できなくなってい。るコンテナーではなく、コンテンツの中にCMを埋め込み、コンテンツの内容や視聴者の属性とマッチングさせるモデルに変わりつつあるのだ。つまりコンテンツと広告を融合させることで、広告の生き残りを図ろうとする考え方であ。 こうした状況では、コンテンツさえ維持できれば、広告モデルも維持できてしまう。コンテナーが別の乗り物(媒体)になったってかまわないわけだ。 そうした新たなパラダイムにおいては、コンテンツそのものにこそ優位性があり、コンテナーの優位性は減衰していく。コンテンツはオープン化され、さまざまな媒体によって広く流布されていくことになる。その媒体が地上波なのか衛星放送なのか、あるいはインターネットやDVDであるのかは問われない。 そのような状況が現出して来れば、コンテナー本位制は間違いなく崩れる。テレビの崩壊の日は今後十年以内に必ずやってくる。 チョイ入院マタヤッチャッタ年の内 点滴はゆっくりはやい年の暮 本年中はいろいろと有難う存じました。皆様のご多幸を切望しております。 |
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お体をお大切に。お風邪など引かれませんように。良いお正月をお迎えください。この一年、本当にいろいろと学ばせて頂き、有難うございました。来年も楽しみにしています。(^^)/ |
美代子 2007/12/21 16:10 |
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